「あー!! も、全っっっ然分からへん!!」
バアン!! と机に広げたノートを叩くと、上に乗っていた消しゴムが一瞬宙を舞った。
目の前でシャーペンを握っていた謙也がイラッとしたように眉を寄せる。
そんな事はお構いなしに、意外と綺麗に書かれた謙也の宇宙語を指差して、あたしが叫んだ。
「なんでこっからこんな風になるんやー!!」
「ここんとこをこう移項したらそうなるっちゅーねん!!」
「さっきそんな式なかったやんか!!」
「こんなん書かんでもできるやろが!!」
「できんに決まってるやろ!! あんたあたしの頭の悪さなめとったらあかんで!!」
「威張って言えた事か!!」
ぐわっ、と振り下ろされた謙也のチョップは容赦なしにあたしの脳天に命中した。
並んだ式の中に乱雑に書き足された一行に、むくむくと怒りが込み上げる。なんでここを抜かして書くんや。これが一番重要やんか。
イコールを挟んだ二つの数式を見て、あたしが唸り声を上げる。
謙也は深々とため息をついて、持っていたシャーペンでコツコツと問題集を叩いた。
「ちゅーかな、二次式の x 出したいんやったら左んとこゼロにせんでどないすんねん!!」
「意味が分からん!! ここをいっぺんゼロにする意味が分からん!!」
「お前のレベルで意味とか聞くなアホ!! ここで躓いとったら問題なんか一生かかっても解けへんわ!!」
ごもっともや。
思わず頷きそうになる所やけど、ここで折れたら負けやと首を振る。
数学の先生もそうやけど、当然のように左の式を消してゼロにしたり、当然のように何かを代入したり、ほんで当然のように答えを弾き出すのはホンマに止めてほしい。
こっちは二行目の時点でさっぱりやっちゅーねん。解説に解説がいるてどういう事? せやから数学は嫌いなんや。
喉の奥でつっかえる文句を並べる隙もなく、ええからそうなるもんやて覚えとけ、と元も子もない事を言い出す謙也に、あたしはぐったりと頭をもたげた。
そもそもなんであたしは消えればええと思う教科No.1の数学を謙也なんかに教わっているのか。
理由は一時間ほど前にさかのぼる。
来たるべき魔の一週間(期末テスト)に備えて教室に残ろうと決めたあたしに、なんや勉強しとんのかい、と声をかけてきたのが謙也だった。
そうやけど、何? と顔を上げずに応えると、ふーん、という反応が返ってきた。
そのまま放って帰ればいいものを、何故か得意げに、俺が教えたろか? と覗き込んできた奴に、なんやねん、と思ったのを鮮明に覚えている。
いらん、とあたしが応えると、なんでや、と意味もなく食い下がってくる謙也があまりにもしつこくて、そんなに言うなら教えてもらおか、と思い立ったのが全ての間違いやった。
あんなに自信満々やったのに、教科書の解説より分かりにくいなんて詐欺やろ。
「ま、とりあえず、こういう時は左の式を移項してゼロにしとくんがセオリーや。ええな? 先行くで。」
「……………………うん。」
「ほんで、こっちからこっち引いてゼロになるやろ? したらここを 3 でくくってからこことここを逆にして」
「待って待って待って。なんで今そこ逆にした?」
「はあ? なんでて…………たすきがけはそういうもんやろ。」
「何? たすきがけ?」
「…………お前授業聞いてへんやろ。」
「聞いとるわ!! 聞いても分からんからあんたに聞いてんやろ!!」
「授業聞いててなんでたすきがけが分からんねん!!」
「そもそも理屈が分からん!!」
「お前のレベルで理屈とか聞くなアホ!! ここで躓いとったら問題なんか一生かかっても」
「さっきそれ聞いた!!」
数学の教科書を挟んで、ゼエゼエと肩で息をしながら睨み合うあたし達をよそに、キーンコーンカーンコーン、とチャイムが鳴り響く。
気が付くとあれからもう一時間半は経っていて、あたしは盛大にため息をついた。
問題集は一向に進まず、最初に開いたページのままあたしの前に立ちはだかっていた。
いや、立ちはだかっているのは目の前の男か。
気だるげに奴を見やると、自分の書いた式をじっと眺めながら、なんでこれで分からへんねん、と呟いていた。
あんだけ端折って分かれっちゅー方が無理やろ…………。
はぁ…………、と吐き出したため息は明らかに疲労感を携えていて、あたしは頭を抱えた。
「あかん、やっぱり謙也に頼んだのが間違いやった。」
「なんやとぉ!? お前俺がこない懇切丁寧に教えてやっとるっちゅーのになんやその態度は!!」
「丁寧!? ホンマに丁寧やったらなぁ、途中の式二つも抜かして書かんわ!!」
「そらお前普通に考えたら分かるやろ!! 2x と 4x 足して 6x やからここの 9y と合わせて 3 でくくって」
「じゃかあしいんじゃー!!」
「自分が一番やかましいっちゅーねん!!」
この場に白石くんがいたなら、どっちもやまかしいわ、と冷静にツッコんでくれた事だろう。
それくらい同レベル、かつ低レベルな争いだったわけだが、そんな事はどうでもいい。
せやからここがやなあ!! と途中式を書き始める謙也に、あたしはわざとらしくとため息をついた。
なんで数学教わるだけでこんな疲れなあかんねん。授業聞いてるよりキツいてどういう事や。意味分からん。
ちら、と謙也を見ると、相も変らず端折った宇宙語を延々と書き続けていた。
一時間半かけて怒鳴り合っとったらそら疲れて当然か…………。
カチカチと進んでいく秒針の音に、過ぎていった時間を思う。
あぁ、アホらし。
もう一度、深々と息を吐き出して、あたしはシャーペンを筆箱にしまった。
その音に気付いて謙也があたしの方を見る。
そのままパタンと教科書を閉じたあたしに、は? とマヌケな声を上げるのを聞きながら、あたしはそれを鞄に押し込んだ。
「もうええ。明日白石くんに聞こ。」
「なっ。」
「これ以上やっても時間の無駄や。帰る。」
「ちょっ…………、ちょお待て。なんでそこで白石が出てくんねん。」
「白石くん教え方上手いし。謙也と違ごて。」
最後のはかなり適当に言うてみたけど、多分事実や。謙也より教え方の下手な奴なんてそうそうお目にかかれるもんやない。自分で解答睨みつけてる方が百倍マシやわ。
帰って自力で解こ、とガサガサと机の上のものを鞄にしまっていると、さっきまでポカンと口を開けていた謙也が、急にむすっとした表情になってあたしを見た。
「あかん。」
「は?」
「白石はあかん。」
「なんでそんなこと謙也に言われなあかんねん。」
「なんでもええねん!! とにかくあいつはあかん!!」
「ほな小春ちゃんに聞くわ。」
「小春もあかん!!」
「ほんなら一氏くんや!!」
「あいつ俺よりアホやろ!!」
「今めっちゃ失礼なこと言うた!!」
「事実を言うただけや!! あいつMr.一夜漬けやで!!」
あ、一氏くんそうなんや…………って納得してる場合ちゃうやろ!!
心の中で思わず入れたノリツッコミに、落ち着け自分、と言い聞かせる。
同じくして謙也が大きく深呼吸をして、尖らせた口を元に戻した。
「もっぺんちゃんと教えたるから――――――――…………他の奴に聞いたりすんなや。」
なんや腹立つ、とボソボソ呟く謙也に、なんやそれ、と返そうとして、あまりの真剣さに口をつぐんだ。
新しく開いたノートのページに、やけに丁寧に式を並べていく謙也の手を目で追いながら、あたしはしぶしぶ鞄に閉まった筆箱を机に出した。
それを見てか、シャーペンを動かしながら、謙也が少し笑った気がした。
「……………………。」
「で、これがこうなって x が 2 分の 1 とマイナス 5 になるわけやけど…………。」
「ま゛ー!! せやから途中の式を書けっちゅーてるやろー!!」
「こんくらい分れや!! ここの 6 と 33 と 15 を 3 でくくってやなあ!!」
「なんでそれを書かへんねん!! 意味分からん!! 教えるの向いてへん!!」
「はー!? お前こそ意味分からんわ!! なんでこれが分からへんねん!!」
「あかんもう帰る!! 帰って寝る!!」
「おうコラ待てや!! こうなったら意地でも分からせたるっちゅー話や!!」
「数学なんか生きてく上で必要ないんやー!!」
そんなん言うたら世界史かて必要ないわー!! と見当違いな叫び返しをする謙也に、あぁ、今回の期末終わった、と静かに絶望した。
(おぉ、騒がしいでー。廊下まで丸聞こえやん。)
(白石くん!! ちょうどええ所に!!)
(うっわ何しに来たんやお前!! 帰れ!!)
(そんな見事に真逆のリアクションされてもなぁ。)
企画、[ 四天宝寺に恋をした ] 様に参加させていただきました!
いやー、非常に楽しかったです(笑)
しかし名前変換が一回もないという暴挙。いや、あの、本当すいませんでした…………!!
会話が全然終わってくれなくて地の文入れるのがえらく大変でした。彼ら喋りすぎですね!(笑)
謙也が英語と数学得意という事で、いつかこういう話を書こうと思っていたので、今回このお題を頂けて本当に嬉しかったです! ありがとうございました!
09/03/24 ときめきドロボウ / 香月 仁美
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