あなたの笑顔が安定剤

















誰にだって、ヘコんだり、気分が滅入ることがあるはず。
 そんな時、浮上するキッカケや方法は人それぞれなわけで。
 私の場合は、コンビニで何かしら食べ物を買って、家から歩いて15分の場所にある小さな公園に行く。
 そこにはとびきり可愛い生き物と、世にも不思議な生き物が一匹ずついて、私を迎えてくれるから。



 公園の隅のベンチに目には、案の定、学ラン姿のモジャ頭が座っていた。彼は長い足を組んで、本を読んでいる。きっと大好きな将棋の本だろう。
 気配を感じたのか、彼は顔を上げた。バチっと目が合うと、ひらひらと手を振ってきた。
 返事代わりに、私はコンビニの袋を見えるようにちょっと持ち上げる。すると彼は顔を輝かせて親指を立てた。さっきと明らかに反応が違う。
 ホント、ゲンキンなヤツ。
 でも、いてくれてよかった。



 彼――千歳千里は、私の中学時代の同級生だ。
 彼は中3の時に熊本から転校してきたから、一緒に過ごした期間は1年だけだったけど。
 同じクラスということもあって、それなりに仲良くはしていた。といっても、あくまで『それなり』であって、ただのクラスメートの域は出ないまま卒業してしまった。

 私たちは高校は別の学校に進み、当然のことながら、そのまま音信不通になった。そして再会するまで、彼の事を思い出すことはほとんどなかった。
 彼との再会は、今年の春。
 その日は日曜日で、私は本屋からの帰りだった。
 いつもはバスで帰るんだけど、たまたまその日は天気が良かったし、暖かかったから、散歩がてら歩いて家に向かっていた。そしてたまたまこの公園で、猫と戯れる彼を見つけ、驚いて声を掛けたんだ。


『千歳君!』
 私が声を掛けると、彼は普段は切れ長の目を思いっきり丸くした。
……? どぎゃんしたとね、こげなとこで?』
 彼は足元にいた猫を抱き上げて、私に近づいてきた。私はまるで自分の真上を見る時と同じくらいの角度で彼を見上げた。
 約2年ぶりに顔を合わせた彼は、私の記憶の中の彼とほとんど変わっていなかった。相変わらず大きいし、下駄履いてるし、神出鬼没っぽい。
『家がこの先なの。千歳君は?』
『俺も、こっからすぐの下宿に住んどるよ』
『えっ、ウソ!?』
『嘘じゃなか。ま、この公園に来るようになったのは最近だけん、今まで出会わんかったんかもしれんばい』
 そう言って彼は笑った。その瞬間、まるで心の中を爽やかな風が通り抜けていくように、気持ちがふわっと解される。そして頭の中で、カチリ、と記憶のパズルのピースがはまった音がした。

 そうだった。彼が誰にでも惜しみなく向けるこの笑顔はとっても不思議で、どんなに殺伐とした空気でも、途端に中和してしまう効果を持っていたんだった。
 そしてその効果は今も健在みたい。やっぱり、変わってないなぁ。
 一時期流行した、『癒し系キャラ』ってやつ? きっと、高校でも人気者なんだろうな。

『そっか。……その猫は千歳君の飼い猫?』
 彼の腕の小さな三毛猫は、目を閉じてじっとしている。すごくリラックスしているように見えた。そっと手を伸ばして背中を撫でると、猫は薄く目を開けたけど、すぐにまた目を閉じた。
『いんや、このこは野良猫たい。最近ここに住みついたと。この辺の子供が、チロって名前ばつけたらしいたい』
『そうなんだー。可愛いねー。それに千歳君によく懐いてるみたいだし』
『オス同士、気が合うんかもしれんね』

 それから私達は、ベンチに座ってジュースを飲みながら、お互いの近況を話した。千歳君は高校でもテニスを続けているらしい。
 不思議なもので、同じクラスだった一年間よりも、再会したほんの数時間の間のほうが、彼とたくさん話したような気がした。
 気がつけば、公園内を夕日が照らしていて、私達は手を振って別れた。
 その間際、彼が言った。
『俺、こいつの様子見に、たいていの日はこの公園におるけん、いつでも来たらよか。また話ばせんね?』
『うん、そうだね。また来るよ』



 それからだ。嫌な事があって落ち込んだり、何となくブルーな時に、一旦家に帰ってここに来るようになったのは。
 言葉どおり、この公園に来ると必ずと言っていいほど確実に千歳君に合うことができた。余程、チロの事が気にかかるんだろう。彼は動物が凄く好きだから。

 ここでチロと遊んだり、彼と他愛無い話をして、お日様のような笑顔を向けてもらうと、不思議なほど気持ちが落ち着いた。
 そう。まるで、彼は私の安定剤。
 かといって私は、彼のことを異性として意識しているわけじゃない。でも、彼ほど話しやすい相手は他にいなかった。
 
 もしかしたら私は、彼を利用しているのかもしれない。
 だから、頼まれてもないのに、彼に会いにくる時は毎回何かしら食べ物を持ってきてしまう。
 これが私なりの、代償のつもりなんだけど……。




「やっほー」
「オッス。久しぶりたいね」
 千歳君はベンチの真ん中に座っていた体をずらして、私が座るスペースを作ってくれた。遠慮なくそこに腰掛けながら、私は答える。
「そうね。一ヶ月ぶりくらい? 最近、予備校やなんだで結構忙しかったから」

 それは、嘘だ。
 確かにそれなりには忙しかったけど、来れないほどじゃなかった。本当は他に理由がある。
 要は、癒されるはずのこの場所にも来る気になれないくらい、辛かったというだけのこと。
 でも、そんな事は言うつもりはないし、言いたくもない。
 いつもみたいに、取り留めのない話をして、多少なりとも心が軽くなればそれでいい。

 一瞬脳裏に、手ひどく振られた相手の顔が浮かんでしまった。心の奥に封印していたはずの、顔。
 その記憶を振り払うため、私は少し乱暴に袋から肉まんとペットボトルのお茶を取り出した。コンビニを出た直後は熱々だったのに、どちらもかなり温くなっている。
「どーぞ」
「おー、サンキュ。ちょうど腹減っとったけん、たいぎゃ嬉しかー」
 彼はそう言うと、ものすごい勢いで肉まんにかぶりついた。その食べっぷりに感心しながら、私も一口かじった。
 食べながら、ふと足元に目をやる。そしてその時初めて、いつも私を出迎えてくれるもう一つの存在がいないことに気づいた。
「あれ? チロは?」
 私の問いに、千歳君は口の中のものを飲み込んだあと、答えた。
「こん近所の佐藤さんって人の家に貰われていったばい。もうすぐ冬が来るけん、凍えたら大変ってこって」
「えっ、そうなんだ!? いつ?」
「んー。2週間くらい前だったかな」
「そっか……。ちょっと寂しいけど、でもよかったよね。野良猫が一匹で冬を越すのは大変だもん。安心した」
 ホッと胸を撫で下ろしながら、ふと、小さな疑問が頭をもたげてきた。私は深く考えずにそれを口に出した。
「じゃあ、千歳君はどうしてここにいるの? チロはもういないし、寒いのに」
 彼は残りの肉まんを口に放り込み、ぐいっとお茶を口に含んだ。大きく動く喉仏が妙に生々しくて、思わず視線を逸らしてしまった。
 目のやり場に困ってしまい、私は公園内の遊具に目をやった。遠くに見えるブランコで、小学校低学年くらいの子供達が2,3人で遊んでいる。
 あの頃にもどりたいなぁ、などと逃避じみたことを考えていると、彼の声が耳に飛び込んできた。

を待っとったよ」

 思わず持っていた肉まんを落としそうになった。
「私を?」
「おう。ぬしの連絡先知らんし、いつ来るか分からんから」
「えっ、もしかして、毎日待ってたの?」
 千歳君はその問いかけには答えず、また、ペットボトルのお茶に口をつけた。何となく気まずくなって、私も、肉まんを頬張る。
 心の中で、まさかね、と否定しながら。

 そんなはずない。
 だって、会う約束なんてした事は一度もないし。
 ただ、私がここに来ると、毎回確実に彼がいる、ってだけで。

「――俺がおらんと、ぬしは落ち込んだままだろ?」
 それは消極的な肯定だった。

 彼は知ってた。私がここに来る理由を。
「気付いてたんだ……」
「まぁ、な。毎回、こけ来る時は暗い顔しとった奴が、帰る時にはスッキリした顔でニヤニヤ笑っとたら、気付かんほうがおかしかよ」
 ニヤニヤって何よ、と思ったけど、それにはつっこまないことにして、私は彼の方に体を向けて小さく頭を下げた。
「ごめん」
「なし謝ると?」
 彼は空になったペットボトルを、少し離れたくずかごに向かって放り投げた。それは綺麗な放物線を描き、すとん、と目的物の中に到達する。おっし、と彼は小さくガッツポーズした。
「なんか、千歳君を利用してる気がして……」
 そう答えた自分の声が震えていることに。我ながら驚いた。

 どうして私は震えてるんだろう? 何かが怖いの?
 だとしたら、何が怖いんだろう?
 分からない。

「別に利用したらよか」
 彼から帰ってきた言葉は、想像すらしてなかったもので。
 私は驚いて彼を見る。彼は遠くを見つめたまま続けた。
「俺、がなし俺に会うと元気になるんか分からんばってん、まあよかと思っとるよ。それに、こげんして毎回食いもん貰えるし。持ちつ持たれつ、ってやったい」
 思わず笑ってしまった。いかにも彼らしい考え方だ。
「で? 今回は何があったとよ? 今まででいっちゃん浮かん顔しとるよ」
 彼がこんなことを聞いてくるのは、初めてだった。そんなに自分は今、暗い顔をしてるんだろうか?
 私は少し迷った挙句に口を開いた。
「実は――」
「ストップ」
 口を開いた私を、彼は右手を上げて制止した。
「え? 何よ?」
「足りん」
「は?」
「今回はかなり深刻なんやろ? そげな話を聞いてやるのに、肉まん一個とお茶だけじゃ足らんばい」

 ……ほんっと、デリカシーのないヤツ!
 でも、確かに彼の言うとおりかもしれない。これから暗い話を聞いてもらうのに。
 私の分も、食べないで彼にあげればよかった。

「じゃあ、ちょっと待ってて」
 ベンチから腰を上げ、公園の外に向かって駆け出……そうとしたけれど、はっしと腕をつかまれる。
「どけ行く?」
「近くのコンビニ。あんまんとピザまん買ってくる」
 私の言葉に、彼はブッと吹き出した。
「俺が欲しいのは、そげなもんじゃなか」
「もうっ、じゃあ何なのよ!? 何が欲しいの?」
 もったいぶった彼の言い草に、イライラを隠し切れずに詰め寄った。彼は左手で私の腕を掴んだまま、まるで悪戯を考えている少年のような目を宙に漂わせた。
 妙に楽しそうでキラキラしたその目に、私はイライラも忘れ、しばし見入ってしまった。

「俺と、デートすったい」
「はぁ!?」

 思わぬ言葉に、私は素っ頓狂な声を上げてしまった。それを聞いて、また千歳君は笑う。
「色気のない返事っちゃねー」
「デ、デートって……」
「今度の日曜。動物園に、でっかいネコでも見に行かんね?」


 不思議と、嫌な気はしなかった。それどころか、心の奥では嬉しいって思ってる自分が確かに存在していて。
 おかしい。だって、私は先月失恋したばっかりだし、それに今まで、彼をそんな対象として見たことがなかったはずなのに。
 でも、千歳君とデートしたら、きっとすごく楽しいんだろう。
 それは分かるんだけど……それでも、一つだけ納得のいかないことがある。

 
「なんで自分と、って聞きたかとね?」
 絶妙なタイミングで、彼が言った。驚きつつも頷くと、彼はあの、お日様のような笑顔を浮かべて言った。


「俺も、の顔を見たら癒されるってこったい。だけん、もっと一緒におりたいって。それだけたい」






















※「ぬし」=「あなた、お前」
  「なし」=「どうして、なぜ」

(2009.01.07)
企画「四天宝寺に恋をした」様へ寄稿。